ジゼルのペザント

本来なら、次の日曜日が発表会だった。
振り付けが始まった2月頃はまだ故障中で、自分の出演予定は
なかったけれども、長女が「白鳥の湖」第2幕のコールドを
踊ることになっていた。
きっと今頃、本番直前の緊迫した空気に包まれながら、羨望の
念を持て余していたことだろう。

ところが、社会全体が舞台発表など中止に追い込まれる事態に
なったのは、何の因果だろう。そのうえ、発表会に代わるもの
として、「バレエ・パフォーマンス」と称し、小さな会場で
内輪だけとはいえ発表の場が設けられるとは。

私に与えていただいたのはジゼルのペザント。パド・ドゥの
一部でブルグミュラー作曲の方らしい。コンクールやバレエ・
コンサートではアダンの方が踊られることが多いので、珍しい
演目だといえる。有名ではない分、慣例や先入観に引きずられず、
のびのびと自分の表現ができそう。

ちょうど4ヶ月前の3月16日は「もう、これが最期のレッスンに
なるかも」と観念し、アンシェヌマンまで足を引きずりながら
自分の気持ちを追い込んだ。毎回「今日でやめた方がいいのでは」と
思いながら、ズタズタの心と体で手術直前まで通っていた、その
最期の日だ。

ただ辞めてしまう勇気さえなかっただけなのに、予定よりも早く
退院できて、すぐにバレエにも復帰して、ポワントのレッスンも
再開して、バリエーションを踊ることになって、怖いほどの
トントン拍子。