退院して3ヶ月

土曜日に、電車に乗って繁華街へ出た。
退院から3ヶ月が過ぎていたけれども、こうして出かけること自体が
久しぶりなので、足が痛かった頃の習慣が随所に残っている。

もう、荷物を極力減らす必要はなくなった。
玄関で、杖を忘れないように気をつけることもない。
歩きにくいと感じた合成皮革の靴が、けっこう歩きやすくなっていた。
改札前で、歩きながらICカードを取り出すことができる。
ホームへ下りるのにエレベーターの方へ進まず、手前の階段を利用
した。うっかり手すりの方へ寄ってしまったが、つかまらずに下りて
行けることを思い出す。
電車に乗車すれば、優先座席の方へ寄らないでも、空いていれば
どこでも好きなところへ座り、立とうと思えば座っている人の前で
気兼ねなく立っていることもできる。
向こうから人が来たときは、立ち止まらずに普通にかわしてすれ違えた。
歩道で人と同じ速度で歩けるどころか、追い越して行くこともできる。
信号が青ならいつでも渡れるし、途中で点滅しだしたら小走りで急ぐ
こともできる。
待ち合わせ場所に早めについたら、周りの店をうろうろと見て回り
ながら時間をやり過ごす。それぐらいのことで疲れて歩けなくなる
こともない。
徒歩であっても、少々荷物が増えても心配なく複数の買い物ができる。
両手に荷物を提げることすら可能だ。

もともとは当たり前にできていたことなのに、こんなにいろいろな
ことにいちいち差し障りがあるような、そんな日々をつい3ヶ月前
まで過ごしていたのかと、今更ながら驚いた。

レッスン再開前日

明日、約2ヶ月ぶりにバレエのレッスンが再開される。
退院二日後、4月6日に3週間ぶりのレッスンを受けたが、
その翌日に緊急事態宣言がなされた。以来、週一回程度の
オンラインレッスンで凌いでいたのだ。

いま、股関節の可動域は、アンディオールどころか
アラスゴンドやデリエールが絶望的だ。骨盤をまっすぐに
保とうとすれば、アラスゴンドは30度程度か。
デリエールに至ってはマイナスだとさえ言える。それでも
絶望に浸っているわけにはいかない。

手術前はパッセをすべてクッペにしていた。末期になると
クッペどころか、なんとか右足が浮き上がっているという
状態だった。腿や膝を持ち上げなくなると、そのときに
使う筋肉はどんどんなくなっていく。いまは関節の痛みが
なくとも、骨盤周りの筋力が不足しているためにパッセが
できない。

痛みから逃れるために身につけたあらゆる所作、つまり
悪い癖を完全になくし、左右の足をバランスよく使う必要が
ある。
また、極力使わないようにしてきた右足を、今度はどんどん
使って可動域と筋力を取り戻さねばならない。

そのために、週一回は整形外科のリハビリに通っている
わけだが、バレエのための右足は、バレエのレッスンで
取り戻すしかない。

体内からのリハビリ

手術の翌日は春分の日で、続く土日と合わせて世間は三連休。
術後のリハビリも、4日後の月曜日からスタートになるという。
いきなり後れを取るわけだ。暦を恨んでもどうにもならない。
これは自分の問題。
とにかく、カテーテルや点滴につながれていながらも、手術を
終えたそのときからが勝負。
仰向けになったまま、骨盤底筋から徐々に意識して、足先まで
力を入れてみる。そして脱力。これを繰り返して、血流を
促した。足首をもたげたり伸ばしたり、慣れてくれば足を少し
ずつ開閉したり、挙げてみたり、出来ると思う範囲+αで、
筋肉を中から始終刺激していた。自己流のリハビリだ。

週明け。リハビリ室でのリハビリを終えて部屋に戻った後、
そっとポワントを履いてみた。
まだ右足全体のむくみが残っているので、シューズに足を
入れるのが一苦労。そもそも膝の曲げ伸ばしでさえ、突っ
張ったり詰まっている感じがあったりでいちいち痛い。
それでも毎日続けていると、今日は昨日よりも、明日は
今日よりもといったテンポで、ポワントは馴染んでくるし、
痛みも楽になってくる。
動けば動くほど痛みがひどくなっていった手術前とは、
そこが違うところ。

こうして、術後一週間で、杖を使わず手すりも持たずに
階段の昇降ができるようになった。

術前までの痛みと術後からの痛み

手術するまで、痛みを我慢しすぎたのだといまは思う。
突然痛くなるものではないので、少しずつ慣れながら
痛みと付き合ってきた。その結果、右股関節はとことん
傷んでいたのだ。
他の関節まで痛みが出るようになったら、もう我慢は
やめた方がいいと、いまなら思う。
温めてもほぐしても、薬を飲んでも治まらない克服
不可能な痛みは、悪玉の痛み。身体からの本気のSOS。

いっぽう、手術後の痛みは耐えるべき痛みだ。
メスを入れたことで硬くなってしまった組織の痛み。
筋力が落ちきった部分の筋肉を使う痛み。
カテーテルや点滴から解放され、車椅子から歩行器へ、
歩行器から杖へと、歩くための補助具がランクアップ
していけば、その度にまた、痛みと向き合うことになる。
この時期の痛みは自ら克服することで、痛みからの
解放を実現するのだ。

恐れていては、車椅子や歩行器からの解放にも、それだけ
時間がかかってしまう。

退院直前の数日間

退院したら…… 
大きな道路の横断歩道も普通に渡れるだろう。
電車の乗り換えや改札とホームの往復は、エレベーターを
探さなくとも階段が使える。
人が対面から歩いてきたら、遠慮していちいち立ち止まら
なくとも、こちらも普通に歩いてうまく交わしながらすれ
違えるだろう。
週末の繁華街で自分の後ろに行列ができてしまい、後ろめ
たい思いをすることは、もうないはず。
どこへ行くのも苦にならないし、むしろどこへでも行きたい
気分で、退院の日を指折り数えていた。

見たい展覧会や舞台、聴きたいコンサート、参加したい
セミナーや講演会、食べたい料理、歩きたい名所や繁華街。
いくらでも思いついた。

ところが、約3週間ぶりに戻ってきた4月上旬の世の中は、
それどころでなかった。
バレエのレッスンや合唱アンサンブルの練習はオンライン
のみ。発表会や合唱祭などの企画は軒並み中止になっていた。

こうなるとわかっていたら、入院中のリハビリも
モチベーションがいまひとつだったに違いない。

退院後の「夢のような」現象

手術をしてから9週間以上になるが、いまでも
手術前の感覚や癖が完全には抜けきらない。

はじめは「あんなことができる」「こんなこともできる」と
新鮮だった。
右足で立っても痛くない。いちいちものにつかまらなくても
歩けるし、思い立ったらすぐに移動できる。
外に出るとき、杖を忘れても平気、というか杖はいらない。

買い物は、カートなしで大丈夫。一度にまとめて買って、
手で提げて駐輪場に戻れる。荷物を自転車に移し替えてから
カートを返却に行く必要なし。
買い物をしておつりをもらったら、それを歩きながら財布に
入れることができる。両手を使う作業のどれもが、歩きながら
できるのだ。
荷物の重量を減らすために、財布に小銭が貯まらないように
工夫する必要もない。

食事の支度をするとき、汁物をこぼすことなく運べる。
しかも一つずつ運ぶのではなく、両手を使って二つずつ
運べる。「ものにつかまる手」「支える手」はいらない。
段差の前で、下りるとき、上るとき、先に出す足の右と左を
間違えても平気だ。一旦立ち止まって考えなくてもよい。

そんなこんなで、いろいろなことが手早く出来るようになった。

朝、目が覚めたらすぐに立ち上がることができる。
郵便物や新聞を取りに出たり、ゴミ出しだって余裕だ。
薬は飲まなくてよいのだから、飲み忘れの心配がない。

「いつか、奇跡が起きてこの痛みがなくなったら……」と
切望していたその奇跡が、いまは毎日起きている。
もともとは、それが当たり前のことだったのだが。
悪くなるときは徐々に、痛みの頻度、強さ、が増えた。
痛みから逃れる工夫をしながら、できないことも少しずつ
増えていった。それが一気になくなったのだから、
まるで魔法だと感じるのだ。

術後8週間目

手術を受けてからもうすぐ2ヶ月。右足でも立てるという、
夢のような日々が現実となっている。

術後の痛みもほとんどなくなってきた。
その痛みとは、関節に関してではなく、まずは内部の傷口。
表面の痛みは一ヶ月もすればほとんど気にならないが、骨に届く
ところまでメスを入れているためか、強く押さえると傷口を含む
お尻周りが痺れるような痛みを感じる。
それも、日ごとに楽になってきた。ゴワゴワしていた傷口周りも、
少しずつ柔らかくなめらかになってきた。
左右で比べると、筋肉のこわばりはまだまだ強く、可動域も
なかなか元には戻らない。数年かけて身についてしまった、右足の
痛みをかばうような立ち方、歩き方は、なかなか抜けきらない。

屈伸の際は心理的に怖さが先に立つ。
手術の切り口が身体の側面なので、脱臼の恐れは激減していると

いうが、万が一のことがあれば、また痛みとの24時間が戻って
くる。
おまけに左足も予備軍であることを宣告されているのだから、
無理をすれば再びあの辛い日々が始まるのだ。
関節に感じる違和感は、実際の違和感なのか恐怖心が生んでいる
ものなのか。