徒歩は一人がベスト

家族はそれぞれ出かけていき、一人留守番の正月三日。
寂しいようなほっとするような。
ただ、こうしている今も、足は刻一刻筋力を失い
歩けなくなっていく。骨ももろくなっていく。
どんなに筋トレを頑張っても、日常の中で普通に歩く
習慣がなければ、やはり日増しに歩けなくなっていく。

元旦の初詣、翌日の初売りと、家族同行で出かけてみた。

家族が、横に並んで歩調を合わせ、おしゃべりしながら
一緒に歩いてくれるなら、少々長い距離でも歩いて行ける。
痛みが募れば時々休んでほぐし、普通の何倍も時間はかかるけど、
歩けないわけじゃない。
けれども、前を歩いて時々待ってくれるというパターンは、
どうしても無理が生じて関節への負担が限度を超えてしまう。
もう少しゆっくり歩きたい、少し休みたい。そんなことを
人通りの多い往来で叫ぶわけにはいかず、なんとか追いついて
伝えようとするも、またすぐにゴールポストは先を行ってしまう。

何度も立ち止まってくれても、追いつききるまで待てないのでは、
それは「一緒に歩く」とは言わない。
単に気を遣ってあげてるというパフォーマンス。
ひょっとしたら、このようなモタモタ歩きに付き合うのは
イライラするから、二度と一緒に歩きたくないと言わせるために
わざとそうするのかもしれない。

無理な速度で歩き続けると、痛みは膝や足首にまで広がっていく。
そうして、たちまち反対側の足まで痛んでくる。

繁華街の往来で、歩道の一番端を必死で歩いている私の後ろに、
人の列ができて渋滞していたという。
みっともないから、さっさと歩けない者はお正月の賑やかな
繁華街を歩くべきではないのだろう。
健康な人々は、お正月でさえいそいそと歩きたいものなのだろう。