11月2日 月曜 雨の朝

いま、自転車を外に出してきた。
不要品として引き取ってもらうために。
30年近く乗ってきた自転車。不要品だなんて言いたくはないが、
もう乗るに耐えられないのだから仕方がない。
散々お世話になった自転車が、いまは不要品の張り紙ごと雨に
濡れている。結婚する直前の秋に、父が買ってきてくれた赤い
自転車。
結婚して見ず知らずの土地で、引出物を郵送するための大きな
クラフト紙を前かごに積んだまま転倒した。このとき膝に負った
傷は、いまなお黒ずんだままだ。
子どもができて、前の「子供乗せ」に長女を乗せていろいろな
ところへ行った。農道の先の小さな川に、見事な白鷺が降り
立っていた。
そのうち次女が前に、長女が後ろの座席に座るようになった。
前カゴにはスーパーで買った牛乳や、たくさんのものを載せて、
長い上り坂を一生懸命漕いで上がった。
保育園の送り迎えも、行きは長い上り坂。秋には川べりに
彼岸花の列が見えた。
3人でちょっと遠出をしたこともある。郊外のベーカリーカフェ。
清水寺、嵯峨野、洛西。あの自転車で、どこへでも行った。

26インチのタイヤはとにかく一漕ぎでぐんぐん進んだから、千里の
自転車と呼んでいた。

地域のイベントでは、たくさんの道具を前にも後ろにも積んで
模擬店のブースまで運んだ。
雨が少しぐらい降っていても、バレエのレッスンには自転車で
通った。
陸上部の次女の大会が近づくと、朝の暗いうちから嵐山まで
ランニングの伴走に出た。

二十何年も乗り続けているうちに、もう何度パンク修理に持って
行ったことか。2~3回に一度ぐらいはすり切れたタイヤごと交換
してもらった。その度に、新しいのを買う方が安いけど……と
思いながらも、そうはしなかった。

五十を超えて右股関節の痛みがどんどん進んでも、自転車でなら
どこへでも行けた。最寄りの駅まで歩いて行けなくなってからは、
駐輪場の「思いやりスペース」に駐めさせてもらい、そこからは
駅までなんとか歩いた。
そのうちに、とうとうペダルを踏む度にカタカタとけたたましい
音を立てるようになり、修理に持っていくと、もう寿命だから
直せないと宣告された。

ボロボロになった右股関節を追って、自転車もボロボロになって
いた。

……9時10分頃、軽トラのおじさんが外の自転車に何か札を
かけて行ってしまわれた。外に出て確認すると「本日中に必ず
回収いたします!」の札。
ちょっと安心なような、やっぱり後ろ髪引かれるような。
だからといって、もう引き戻すことはできないのだから。

出かける時刻になり、札がかかったままの自転車の写真を撮って
出かけ、午後1時頃家に帰ったら、自転車はもうなくなっていた。

3月に逝ってしまった右股関節のミギーと、今頃一緒にいるのかな。